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カントリーミュージックと音と家具の毎日
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晩年に近くなった母の思い出を書きます。
口癖のように、悪いね! 私はそんなに長くないからね! とよく言っていました。
女房は、お母さんは90までは絶対に大丈夫だよ! 100かな?などの冗談を
言っていました。

60歳を過ぎた頃、体調が不安定になり、私が神奈川に越して数年した頃、
不安を訴える母が一人暮らしの為、サラリーマンをやめてから、転居先の神奈川
から良く夜中に第三京浜を飛ばし、毎週2~3回、渋谷の実家に通う日々が数年
続きましたが、私も仕事が結構大変で、寝不足が続きその上、実家に通うことが
とっても負担になっていたことがありました。
時には疲れ、実家に泊まり早朝5時頃に出て自宅に帰る事もしばしば!
でも、きつかったけどやっておいて良かった!

いつも弟のことを思っている母!
50代の後半に脳溢血で倒れた弟(私の叔父)が倒れてから、弟の事を自分が
一人で抱えてきました。
自宅を改装して、付きっ切りの毎日!

叔父が倒れてから病院での治療の後、何とか国立の七沢リハビリセンターに
入る事が出来、リハビリを続け、数ヶ月ののちに退院の日を迎え、独立して家具の
製造工場を営み始めた私は仕事を中断して、七沢リハビリセンターに私は迎えに
いきました。
しかし、少しは良くなったと言え、不自由さが残る体を支えたりする事は大変で、
腰痛持ちの私が、叔父を車に乗せるのも、私と女房でかなり苦労しました。
この状態の叔父を見ていく母はもっと大変だろうと思いましたが、渋谷の実家には、
母が待ち構えていました。
待っていましたと言わんばかりでしたが、ここからが更に大変な時代の始まりでも
ありました。

その時代も数年続きましたが、柿の木坂に新しい老人ホームが出来ると聞いて、
タイミングよく入所できる事が出来、一安心でした。
そんな叔父も入所してから、ほぼ20年になります。 
「母と叔父が小学校の頃! いつも叔父である弟の手を引いて学校に通ったと
聞いています。
そんな、弟思いの母でした。」

80代で母も大腿骨を骨折しても叔父の居る目黒のホームに私と一緒に行って
いた母でした。
正直、母が一緒だと、私も仕事中に母の家により連れて行くので、とても時間が
かかり、大変で、時には私一人で面会に行き、好きな甘いものを持っていくことも
多くなりました。
杖を突きながらでも行きたがる母も、いつしか、私が一人で仕事中に寄る事も多く
なったことに、不満も無く、“好きなものをやっておくれ”と言うだけになりました。

自分自身も大変になっていたのだと思います。
「お袋が口癖のように言っていました。トキちゃん(叔父)を先におくらないことにはね!」
そんなお袋も、今年に入ってからはホームに行くことも少なくなりました。
勝気なお袋は口には出しませんでしたが、自分自身がかなりきつかったのだと
思います。

ホームに居る叔父は母が亡くなった事を未だ知りません。知らせるべきか迷って
います。いまだに、知らせていません。

亡くなった日に、兄弟の一番下の叔父が、お袋に泣きすがって、訴えていました。
「姉さんごめんね! 青春時代を家族の為に犠牲になって」とても重く心に響き
ました。今でも、心に響いて聞こえます。

そんな大変な時代を生き抜いて、最後まで、子供にまで迷惑を掛けないで逝って
しまったお袋は私の誇りです。

工房のお袋の写真の横に飾った皿です。笑っています。
d0097038_2053947.jpg


もう少しでいいから、一緒に居たかった。
もう少しでいいから、我儘を言って欲しかった。
もう一度でいいから、褒めて欲しかった。

もっともっと、いろいろな事をしてあげたかったけど、忙しさで、思っていることの
半分くらいしか出来なかったよ!
最近、とっても暑さに弱くなっていたお袋!
今年の暑い夏を分かっていたのだろうか?
きっと乗り越えるのは大変だったろう!

さよならお袋!でも、毎朝工房に来てくれよね!
毎日、「千の風にのって、お袋のことだから来るかな」
 
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by friedband | 2010-08-01 20:00 | 日常 | Trackback | Comments(0)
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